鋳造ごっこワークショップ

20150729
26日、富士見町高原のミュージアムでの展覧会最終日。鋳造ワークショップも無事に終わりました。
成功した子、失敗した子、やり直した子などいろいろでしたが、自分のつくったかたちが金属に置き換わるという不思議をみなさん存分に楽しんでくれたようで、ほっとしています。

募集開始から2〜3日で定員いっぱいになってしまいました。総勢22名の参加。

粘土にかたちを彫り込みます。

ガスコンロにかけるとバターのように溶けてくる低融点合金。

流し込む瞬間がいちばんどきどきするのです。

いるか?とか♡とか。大成功・・・かな?




たまには芸術論

20150719
熱を出して寝込んでおります。その間、ちょっと楽になったときにふとエッセイができあがることがあります。雑事にわずらわされずゆっくりものを考えることができるからでしょうか。
きょうのエッセイはまじめに芸術論。



「早く安く」一辺倒の国で、人がものを深く考えなくなりました。そうして昨年12月、「わかりやすい」宣伝文句にいっせいに飛びついた結果が、この空前の衆愚国家です。
というわけで、ぼくはこれから手間をかけて時間をかけて「わかりにくい」絵を描こうと思います。「わからなさ」の中に分け入って耳を傾けようとする人にしか聞こえない言葉がこの世界にはあるから。本当に大事な言葉は、そういうふうにしか伝えられないのかもしれません。ぼくの作品の中にそういう言葉たちが少しでも含まれていますように、と願うばかりです。
そういう言葉たちは、画家が計算して作品の中に仕込むことができるような種類のものではありません。自分の生きざまを作品に真剣に刻み込むほどにおのずから宿ってくるものです。だから、画家は「メッセージ」だの「テーマ」だの「構図」だのに頭をひねっているひまがあったら、作品に自分の生きざまを全力でぶつけることです。おっと、その前に作品に刻み込むに値する生きざまをまず生きてみせることですね。