ギャラリートーク

20170430
きのうは のギャラリートークの日でした。ぼくも混ぜてもらい、ちょっとしゃべりました。こういうときにぼくは伝えたいことをうまく言えずいつももどかしい思いをするので、この機会に自分の芸術についての考えを簡単にまとめておきます。
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<森が教えてくれること>
ぼくは八ヶ岳の森のほとりに住んでもうすぐ10年になります。
森は、微生物のような小さなものから、光や風のような大きなものまでの森羅万象が複雑に関係しあって成り立っている巨大な構造体です。人間の浅はかな知恵では、この「森」という営みのすべてを知り尽くすことはできません。けれども、森の途方もない複雑さの中に分けいってその声に耳を傾けることは、自分は何者か、人間とは何か、といった問いに対して大きな示唆を与えてくれます。
ぼくにとって「制作」とは、この、森が与えてくれる示唆を自分がどう聴き取ったかを記録する試みのことをいいます。

<いい芸術とは>
いい作品かどうかを判断するものさしは、作品に作者の生きざまがどれだけ深く反映されているか、ということに尽きます。
ぼくは不器用なので、自分の生きざまを作品に刻むためには、できる限りの悪あがきを重ねることしかできません。そういう悪戦苦闘の末、作品の奥に、森から示唆を受け取ったぼくの言葉がおのずから宿ったと感じたとき、作品の一応の完成とすることにしています。

<世界がどう病んでいるか>
ふだん自然とともに生活しているからこそ、たまに都会へ出かけた時などに、世界がどう病んでいるのかがよーくわかってしまうと感じることがあります。
人間の欲望の本質は太古から変わらない一方で、欲望を満たす道具だけが肥大化を続けたらどうなるか。という壮大な実験場と化しているのが今の世界です。
「早く安く」という掛け声に世界が埋めつくされ、人がものを深く考えなくなりました。システムに適応して生き残るための処世術ばかりが進歩し、システムそのものが間違っているのではないかと疑う知性は驚くほど衰退しました。
このことについて、ひとは論文を書くこともできるし、警鐘を鳴らす小説を書くこともできるでしょう。そのなかでぼくは、絵描きとして、森からの伝言を絵に刻むことで人間について考えるという選択肢を選びました。ぼくの絵のなかに具体的な理屈や処方箋は仕込まれてはいませんが、深い森からのメッセージが少しでも含まれていますように、それを誰かが聴きとってくれますように、と願っています。

鳥が

20170428
絵具を使っていてふとパレットを見たら、雷鳥みたいな鳥がいました。
孔雀みたいにしっぽがとても長いようにも、水からあがってきたところのようにもみえます。


メイメイアート今日から

20170420
今日からはじまります。出展者はぜんぶで30人。
ぼくは新作の「こうもり」や「かるがも」などなど、4メートルの壁面いっぱいに暑苦しく展示してます。
5月7日まで。

メイメイアート

20170410

で4月20日から開催される に参加します。
なんと、作品にタイトルを付けてくれたお客さまにその作品をプレゼントしちゃうという企画があり、ただいまプレゼント用の作品5点を制作中。 。。
鑑賞者は作品にタイトルを考えて応募、作家はそこからふさわしいタイトルを選び、作品は命名者にプレゼントされる、というしくみです。
小品ですが手抜きなしの一人前の作品のつもりです。どしどしご応募ください。
いちばん想像の翼を広げてくれそうなタイトルを選ぼうかとたくらんでおります。


かるがも親子が完成〜

20170403
先日のかるがもチョコ、色を付けて完成しました。というか、チョコではなかったようです。


かるがもチョコ

20170401
かるがもチョコ。ぺこり製菓より新発売。