なまえといふもの

20171205
世の中が便利になればなるほどみんな忙しくなるという現代の怪奇現象に、そろそろ名前をつけてあげる時期がきているのではないか?それともぼくが知らないだけで、もうついてるのかなあ?
なんて考えていて、ふと、昔読んだ本に、ある数学者が、どんな名前をつけるかよりも「何に」名前をつけようと思うかのほうがずっと興味深い、と書いていたのを思い出しました。

いままでに名前をつけてくれてありがたい、と思ったものに、「社会的ジレンマ」とか「超正常刺激」とか「風情」などがあって、それぞれ、世界のありようの一側面を理解するのを助けてくれたり、世界を豊かに見る目を養ってくれたりしました。

これから名前をつけたらいいとおもう現象には、
「システムにいかに適応するかという処方箋ばかりがもてはやされシステムそのものを疑う知性が衰退してしまう現象」とか、「いまの自分が不幸なのは服従が足りないからと心得てさらなる服従へのめり込みますます不幸になる現象」などがあります。
でも、もうついてるかもしれませんが。